【雑記】何がつらいのかは、じぶんが決める。

ちょっと前に、質問箱でこんな投稿をいただいた。

メンヘラなんですが、どうしたらメンヘラ卒業できますかね。(投稿URL

質問箱は基本「勢い」で回答することにしているものの、いただいた質問の性質上、出来るだけまじめにお答えしてみた。

だから、もしこの質問で使われている「メンヘラ」という表現が、単に「わたし、心が弱くて…」くらいの意味で使われていたのなら、私の回答は大げさで無駄に重くてトンチンカンだろうと思う。
後悔と恥ずかしさと、心配が今も少しある。ごめんなさい。

とはいえ、匿名でいただくものなので真意の確かめようが無いのだけど。
考えすぎと言われたらそれまでだけど。
そもそもバトンとか自動投稿のやつだったりして…?


確かTwitterで読んだと思うけど、救われた言葉があった。

あなたがつらい・悲しいと感じた気持ちは、『あなたのもの』であって、他人が決めることじゃない。だから、誰にも否定する権利は無い。

この話に「これだ」と思った。

友達に「こういうことがあって…」と話すと、「え〜?、そんなことで悲しむの〜?ひがんでんの?」と言われたことがある。
余計に凹んだ。「言わなきゃよかった」と思った。

結局その子には理解してもらえなかったけど、それはその子の価値観・考え方なので仕方ない。
今にして思えば、その時の違和感は「私の感情」を否定されたからだ。
「いちいちそんなこと考えるあなたの方がおかしい」という態度に傷付いたんだ。

子供相手なら、「悲しいね〜つらいね〜」と言って泣き止むまで待ってくれることもあろうけど、とうの昔にそんな年齢は超えている。
だから、「自分だけは認めてあげる」ステップとして、思い、感じたことはとにかく全て書き出して、自分の感情は否定しないようにする。

すると、気持ちが楽になって、消去法以外で「じゃあ次はどうするか?」を考える余裕が少し出てくる。
とはいえ、ネガティブな時間はまだまだいっぱいあるけど。


私は幼い頃から割と小さなことで傷付きやすいタイプらしい。

初めての特急券購入であたふたしていたら、後ろの方に「早くしろよ」と呟かれて凹む。
すれ違いざまに「あ、●●さんか…」と小さい声で言われて凹む。*1

明らかに私が悪い前者はともかく、後者は何が悪かったか分からない。
「え、あ、えっと、ごめんなさい。(でも、なんで…?)」

その場では「落ち着けー、落ち着けー」と心の中で唱えて一旦平静を装う。
でも、ネガティブな言葉を向けられると、当然ながら心はザワつく。

独りになった瞬間、脳内反省会。
トイレでモヤモヤ。電車でモヤモヤ。歩いてもモヤモヤ。家に着いてもモヤモヤ。
食事中も、入浴しても、布団に入っても、…

涙が溢れて、頭がいっぱい。
「なんで?どうして?何がいけなかった?どうしたら良かった?」

もちろん相手の意図なんて分からないから、結論は出ない。
ひどい時は、そのまま朝を迎えたこともある。

母には、「●●はメンタルが弱いだけだから、強くなりなさい」って何度も言われてきた。
友達や先輩にも「気にしすぎだよ~もっとラクに生きなよ~」と言われた。

…そうなのか。
でも、何をすればそうなれるのか、さっぱり分からないんだよね。

「認知のゆがみ」やASD*2由来の誤学習について、本、ブログ、SNS、動画やらをあさって認知の矯正を試した。
独学だからか、今のところほとんど効果は感じられていない。*3

はぁ、一生こんなハンデだらけなのか…


Twitterのプロフィールにも「双極性障害II型」と入れている通り、私はいわゆる「メンヘラ」。
初対面でこんなこと言ったら、絶対に人が離れるだろう。

不定期に、鬱期と軽躁期を行ったり来たりする。*4
ちょっと前まで元気かと思ったら、いきなり「この世の終わり」かのようなドン底の日々が始まる。
と思ったら、「あれ、いつの間にか何か元気になってる?」、…みたいなことの繰り返し。

「いま、この瞬間」は平常でも、明日のじぶんが何をしでかすか、何を言い出すか分からない恐怖がいつもそばにある。
そもそも、今も「じぶんは平常♪」と思い込んでいるだけで、実は誰かに害が及んでいる可能性すらあったりする…*5

ただ、最近は医療の発達によって「寛解」している方も増えてきている。
WHOと日本精神神経学会の定義によって、もうすぐ「双極症」へ名前が変わる。
「治る(なおる)ことのない障害」ではなく、「治まる(おさまる)可能性のある病気」ということらしい*6

しかし、これもあくまで寛解であって、完治ではない。
「卒業」というものは今のところ無い。

この「病気」も、これから何十年も付き合っていくんだってさ。


ここ何日か、目が覚めると「あ、終わりにしたい」と頭の中でつぶやくことが増えている。
何となく体が重くて「外に出たくない朝」が続く、というのは何度もあったけど、明確に言葉になっているのは初めて。*7

隣の部屋かダイニングから物音がして、弟が起きていることを認識する。
時々、すすり泣きなのか、クスクス笑っているのか、音が漏れてくる。
ふすまで仕切られた部屋からは、どちらなのか判断できない。

一応、「持病のある弟を支える」という名目で2人暮らしだけど、実際は逆。
家事も分担だし、最近は経済的にもこちらが支えてもらっている。
何度聞いても彼はハッキリ言わないけど、たぶん、イーブンではない。

「私が」と言うと、「いや、あなたは働いているから。僕がやるよ。大丈夫。」と断られる。

私「いや、君も働いてるでしょ。フルタイムで。
 (しかも、明らかに辛そうにしてるじゃん…)」
弟「…」

この、繰り返し。今朝も辛そうに出勤して行った。

メンヘラなんかと暮らすのは楽しくないだろう。
しかも、金銭的に苦しめられるなら尚更。これも考えすぎなの?

離れたい…負担を軽くしたい…こんなのから解放されてほしい…
現実的に考えたら引っ越しはさすがにもう出来ないし…それならいっそ…

「いやいや、」と首を振って正気に戻る。
まだ考える余裕があるな。とりあえず書きなぐる。
Twitterや本を読んで気を紛らす。
…そうだ、私が働かなくては。


こうやってネガティブな時間を繰り返す中で、落ち着きを取り戻すのに役立つのは、回答にも書いた「どこかに書き出す」こと。
鍵垢、チラ裏、ノート、ブログ、何でも良いので、とにかく形にする。言葉にする。

少しだけ、気が楽になる。
もちろんこれだけでは何の解決にもならない。
ただ、とにかくまずは冷静にならなければ。

「強くなる」のは、なろうと思ってすぐに出来るものでもない。
でも、見方・向き合い方くらいなら変えられる。

何がつらいのかは、じぶんが決める。
過ぎたことは取り戻せないけど、落ち着いてから解決策を考えても遅くはないと思う。

それくらいの権利はあってもいいはず。

*1:これは今でも慣れない。

*2:正確には、まだ診断は下りていない。
「確実にその気(け)はあるけど、働けてるなら困ってないよね~頑張ってね~」だとか。
いや、困ってるから受診したんですけど…

*3:本当は、自己流ではなくカウンセリングに行きたい。

*4:人によっては、ある程度周期があるのかもしれないけど…

*5:軽躁期の典型的な症状としては、悪気なく他人を傷つけたり、やたら尊大な発言をしたりするのが挙げられている。この間、本人は自覚症状が無く、周囲も「何か変わった人…気分屋?」くらいの認識が多いらしい。

対して、鬱期は「つらい」ので主訴が現れやすい。色んな意味で軽躁期の行いに苦しめられることも少なくない。

そんなわけで、「うつを繰り返す人」の中には、双極性障害も含まれている可能性が高いと言われている。

*6:詳しくは、こちらが分かりやすいと思います。
sakura212.com

*7:これ、ちょっと危険信号なのかな。