おばあちゃん。
いまは何をしていますか。
おじいちゃんと久しぶりにゆっくりお話出来ていますか。
おばあちゃんがいつもくれたジャンボどら焼き、そばに置いておきました。
おじいちゃんと2人で分けて食べてくれると嬉しいな。
会いに行くと「あらぁ~、よく来たねぇ~」と笑顔で迎えてくれるおばあちゃん。
車で40分くらいだからそんなに遠くはないと思うんだけど、嬉しかったよ。
おばあちゃん家に行くと必ずお菓子をいっぱい出してくれたよね。
食べきると戸棚からまたお菓子を出してくれて、お土産までもらったりして。
私はお菓子大好きだから嬉しかったけど、ウチもお菓子いっぱいだから、
お母さんがいつも置き場所に困ってた。笑
テレビで知ったけど、常にお菓子をストックしてるのは
「茨城ケンミン」だけなんだって。ホントかなぁ。笑
お祝い事の度に作ってくれたお赤飯とチャーシュー、大好きだったよ。
野菜が食べられないから煮物の代わりにお赤飯ばっかり食べてたけど、
もっともっと食べたかったよ。
今は少し料理するようになったし、レシピいっぱい聞いておくんだったな…
あ、私の料理と言えば。
お好み焼き作るたびに「お店に出せるよ!」って何度も褒めてくれたよね。
本当は「●ックパッド」っていうお手本見てただけなんだけど、
お世辞でも嬉しかったよ。
最近、実家帰るたびに「●●ちゃんのお好み焼き食べたい」って
言ってくれてたのに、最後に会った時は作れなかった。
少食になったおばあちゃんが心配だったのもあるけど、
無理してでも作ってあげれば良かったな。ごめんね。
魚介類が大好きで、鮭も捌けちゃうおばあちゃん。
毎年大量にイクラを持ってきてくれて、孫は3人とも大喜びでした。特に私。笑
仙台に引っ越してからは、会うたびに
「お魚食べてる?東北の貝は美味しいでしょ?」って聞かれたけど、
たぶん前よりは食べてない気がするんだよね。
駅前の朝市で安くておいしい海鮮丼屋さんがあってさ。
何度か話したけど結局行けなかったね…
でもね、こっちではおっきなカキが安く手に入るんだよ。
オイスターフェスティバル(日本語で言うと「カキのお祭り」ね)
なんてのもあってね。すっかりカキ大好きになっちゃった。
だからカキ鍋が何度も食べられて幸せだよ。ただ、ノロには気を付けるね。
食べ物の話で言うと、昔、群馬(だっけ?長野だっけ?)に行ったっていう話、
会う度にしてたね。笑
「まだ●●ちゃんがお子様ランチくらいしか食べられなかった頃に、
●●ちゃんが自分でうどんを頼んで、あっという間に食べきって。
『おかわり~!』って手を挙げて自分で店員さん呼んだもんだから、
よっぽどうどんが好きなんだねぇ」って。
えっとー、私はそのこと全く覚えてないんだけど…笑
でも、今でもそばよりうどん派だよ。
おばあちゃんは、確かそばの方が好きなんだよね?
最近は私も、健康のためにたまにそばにしちゃうこともあるし、
おかわりはもう出来なくなってきたな…これが大人になるってことなのかなぁ。
おばあちゃんの好きなものと言えば、他には書道。
冬休みの宿題で必ず書初めがあったから、
朱色の墨を携えて毎年教えに来てくれたね。
高学年になったら習字教室にも通って最後は県のコンクールにも出られた。
少し才能分けてもらえたのかな。
大人になってからは筆を持つ機会が全く無いんだけど、
いつか私もおばあちゃんみたいにカッコいい字を書けるようになりたいです。
あとは、、、そうだ、カラオケにも何度か行ったよね。
当然(?)、私たちの歌にはほぼポカーンだったけど、
「この歌いいねぇ」ってニコニコ聴いてくれたのが嬉しかったよ。
おばあちゃんの十八番は、都はるみ。
「アンコ椿は恋の花」とか「ラブイズオーバー」とか(これは違う人か笑)、
何となく悲恋の歌が多かった気がする。
そういう話を殆どしたことが無いからよく知らないけど、
実はそういう経験があったのかな…?
おばあちゃんが体調を崩して一緒に暮らすようになってから知ったのは、
スポーツ観戦が結構好きなこと。
巨人戦とか、サッカーの日本代表とか、夜中でも食い入るように観てたよね。
点数が入ったら「おぉ~!」って大きな拍手したりして。
白鳳が土俵に上がるたびに懸賞金を数えてたのは、ちょっと面白かったよ。笑
今でもお母さんが良く言うんだけど、おばあちゃんは褒め上手だよね。
どんな小さなことも絶対褒めてくれる。
私はおばあちゃんと違ってネガティブに育っちゃったけど、
おばあちゃんと話すと辛い気持ちがほぐれるんだ。
ちょっと前に「●●ちゃんは歌の先生になると思ってたよ」って言ってくれたよね。
歌はそこまで上手くないけど、お陰で音楽好きに育ったよ。
1つ悲しいのは、実家では今でも喧嘩が絶えないこと。
こんなこと書いたの、家族に知れたらめっちゃ怒られそうだけど。
一緒に暮らした頃は毎日必ず誰かが怒鳴ってた。
私も姉とほとんど話せなくなっちゃった…
おばあちゃんは絶対に参加しなかったし、必ず仲裁してたよね。
おばあちゃんが居なくなってから、今後どうしたら良いのか分からないんだよね…
きっと完全には分かり合えないんだろうけど。
いつかおばあちゃんの代わりになれる日は来るのかなぁ。
自転車を漕いで、街で評判の保健婦さんだったおばあちゃん。
自慢の孫にはなれなかったけど、自分より他人を優先する
おばあちゃんみたいな優しい女性に、私はなりたい。
90年間お疲れさまでした。いっぱい心配かけたよね。
天国ではおじいちゃんと仲良くのんびり過ごしてください。
そしていつか、おじいちゃんの思い出話もゆっくり聞かせてね。
今まで、本当にありがとうございました。